「あんたのこときらい」

 

 少女がそう口にしたのはずぶ濡れになった髪を拭いてやっているときのことだった。ふかふかのしろいタオルで。あいだにある言葉のやわらかさや、あるいはするどさといったものは、その情景から他人の推測する関係図に対して時に比例しない。時に、だけどこの子の場合はほとんど、そう。

 

 

 

スパンコール

 

 

 

「ふうん」

 どうして、という問いを欲している間合いを、けれど無駄にする。告発の機会を奪ったってかまわないだろ。きらいだっていうのが、ほんとうにそうなら。ほんとうにそうなら、ここでおとなしく座っているきみのほうが問題だろ。つまりきみはきらいなやつなんかに、じぶんの髪やなんかさわらせたりするような、そういう人間なのかということ。

 そう、

 そうだろうな。

 あたたかいものはみな受け容れる。たぶん。それが誰だってかまわなかった。たとえばここへ来たのがほかの誰かでもおなじようにきみはしただろう。善悪もただしく教わっていない、そのように傷ついてきた、目だ。

 この子にとって誰だってよかった、ということは、だからといって俺にとっての寂しさにならない。選ばれなかったかもしれないということは。そういう人間だ。そういう人間だから、ずっとこの子の、期待どおりになんてなれない。誰だってよかった、ことを、武器にしたがるこの子の。傷つけることで満たそうとするものを。じぶんの奔放さで、学のなさで、だれかが痛ましく思って、そういうふうな傷をじぶんが誰かにつけられるという事実それだけを、そういうかたちの証明を、切実なくらい求めているこの子の、期待通りになんて。

 傷つけることにすらなんの痛みも感じられないのに。

 いや、むしろ傷つけることこそがーー

「助言をひとつ」

 滴を除いていた手を止める。それから告げる。布の翻る、ぱたぱたとほとんど規則的にきこえていたものがなくなると、最初からただ無音だけがそこにあったということにあらためて気づく。おごそかな余韻。恍惚と畏怖とをはらんだ、いっときの死。

 いまだ水を含んでつややかな白い髪の毛とやわらかなタオルとのあいだから、片目だけが覗いている。

 色のない硝子質のひとみが。

「……なに?」

「きらいなところ以外を挙げてみれば、じつはそうじゃないかもしれない、ってね」

 茶化すように笑えば、少女はふい、と顔を背けた。

「ばかなこといわないで。だからきらいなんだ」

 子どもが赤い、そこだけが肌のなかで唯一色をもつようにおもえる赤い唇をひとたび閉じて、硝子質のひとみはたっぷりとした沈黙のあと、ゆっくりと睨めつけた。

「……きらいなんだ」

 光を吸い込んで、放って、射抜くように、

 その一瞬のスローモーションが、

 永遠みたいに見えた。

 

「僕はあんたをきらいになんかならない。だからきらいなんだ」。

 

 雨の中庭でそのこどもは立っていた。ただしくいえばそれは雨ではないし、よくできたプラネタが連ねるほんものめいたまったくの嘘っぱちで、質量を伴うようにみせかけただけの、雨粒ににせて緻密に演算されただけのただの感覚へのハッキングであるということだってこの子はわかっていた。わかっているはずだった。たとえ雨を知らなくても。

「これはなんて呼ぶの、」とだけその子どもはきいた。なにかとてもうつくしい、神聖なものをみたようなまなざしで。ここに起こる景色がすべて演算の結果であることを知っていながら、それでも。

 どうして名前をつけたがるんだろう。手に入らないとわかっているものさえなお記憶に留めたがるんだろう。

 濡れた髪から零れ落ちる滴、はだをなぞらえる水の一条が照明を反射してきみこそが光をまとったようだよ。スパンコール、そう、そういうなまえだ、きみを飾るものだよ、これはそうだよ。雨にただしい名前なんかいらない。この世に磨かれた宝石なんかきっといらない。ねえ、こんなにうつくしいものがあるなら。